2014年6月30日月曜日

配偶者控除見直しは違う方向で考えて欲しい

元ネタはこれ

首相肝いりの「配偶者控除」が見送られたワケ


女性の社会進出を促進するために、配偶者控除をなくす、削減するという法案が今回は見送られたという話。

議論の結果、配偶者控除をなくしたらうまく行くという話でもなさそうだから止めるという事ですが、そもそも論点がずれているというか、前時代的な考えに基づいているなと感じました。


女性の社会進出を促したい理由って、病院勤務者が減っていて労働が過酷になっている事とか、労働者を増やして社会保険の増収をしたいとか、子供の預かり市場を広げて雇用を創出したいとか、まぁつまり人が減るなら働いていない人を働かせれば良いという、言わば少子化対策なんだと思うんです。


でも、結局しばらくリタイアしていた女性が社会に出たところで、いきなり一線でやっていた頃と同じ収入を得られるわけじゃありませんし、労働過多になる事によって、今まで普通に働いていた人も買いたたかれるようになると思います。

喜ぶのは質が高くて安い労働力をたくさん使えるようになる経営者だけ。

これじゃあ、ますます貧富の差が開いて、より一層社会が不安定になるばかり。

しかも、子供も育てにくくなりますから少子化も拍車がかかる…。


今の日本を牛耳っているじーさん達はそれで良いのかもしれませんけどね。

我々の世代は労働力から、子供に囲まれた幸せな生活まで搾取されて終わりです。


そもそも、模範的な国民像ってやつですか?そんなのこの情報化され、多様化した社会で受け入れられると思えません。

なんで政治家のじーさん達に生き方まで決められにゃならんのかと。


どんな生き方を選択しても子供を産み育てやすいと思えるような制度にして欲しいです。

専業主婦を選択する事だって悪くないじゃないですか。あれだって一つの社会的重労働ですよ?そのために控除はありだと思うんです。(まぁ政府はそこを市場化しようとしている訳ですが)


ただまぁ僕は今の仕組み自体、そもそも生き方制限されてますし、複雑すぎて国民をだまそうとしているとしか思えないので、もっとシンプルに変更して欲しいと思いますけどね。


所得税・住民税・健康保険・年金を全部やめて、消費税一本にするとかね。消費税も累進にできたら良いんですけど、徴収が大変だからなー。


後は多分、養育支援だとか介護補助なんかは直接の手当としては止めた方が良いんじゃないかなと思います。悪いやつが悪い事考えると思いますので。

インフラをきちんと整えて、国営・公営にするとかが良いのかな?
これも利権を生みそうで怖いですが(笑)。


まぁ他にもきっとこれだけじゃ色々問題も出るんだろうなぁ(笑)。税率もいくつになるか考えるとドキドキしちゃいます(笑)。単価で課税・非課税を線引きして、売上を2種類で管理とかしないと食料品も買えなくなりそうです。

でも結婚を前提にした生き方には縛られなくなりますよね。どんな生き方でも選択しやすくなると思いますし、マイノリティも不公平感を持たなくてすむかなーって。


取りあえず、こんなところで。

2014年6月29日日曜日

集団的自衛権について考える

そういや、まだ書いてなかったなと思いまして。

巷ではかなり盛り上がっていますよね。

まぁ自衛隊が発砲できる機会が増す、というのですから、軍事にアレルギーがある人には堪えられない話ではあると思います。

こーんな記事とか、質問の仕方に恣意的なものを感じちゃう世論調査を見ちゃうと各派、自身の主張通すのに必死だな、とか思ってしまうのですが(そもそもマスコミの本分は政治活動じゃないだろ)、取りあえず自分なりに冷静に考えてみたいと思います。


そもそも暴力と言うのは非常に強力な力です。


相手にこれを行使されると、こちらに見過ごせない被害が出ることが多いからです。


個人の闘争では、怪我したら仕事できなくなるかもしれませんし、殺されたら何も言えなくなります。ゲームオーバー。

集団では、全滅するまで殺しつくすことは事実上難しいですし、歴史上も僕の知っている限りほとんどありません。マヤとかアステカも全滅はしてないんじゃないかなー。

でも、文明や文化は滅びましたし、個々では聞くに堪えない悲劇が生まれていたでしょう。


さらに問題なのは、相手の暴力の行使を防ぐのは非常に難しいという所です。

相手が暴力の行使を決定した瞬間に被害をこうむってしまうような方法がたくさんありますから、被害を防ぐには相手に「暴力の行使の決定」をさせない、というホントにそんな方法あるのかい、という立ち回りが必要になってくるのです。


そして悪い事に、人間は一度やってしまった事は感覚がマヒしてしまいます。

今の世の中、簡単に暴力の行使を決定しうる人々がたくさんいるのです。


そんな中、日本は今まで「僕たちもう戦いません。だから殴らないでね。みんなも暴力止めて話し合おうよ」という立場でやってきました。

しかし、周辺国には日本がスネ夫に見えたでしょうね。おい、後ろにジャイアンおるやんけ、と。


今までは周辺国の経済力が日本とアメリカに比べて極端に弱かったので、誰も逆らう気にならなかったのかもしれません。


しかし、戦争で必要・守らなければならないものは金だけじゃありません。各種資源とその補給ルートの確保も大事な要素になってきます。


最近、周辺国の台頭が著しいです。

天然ガスなどの資源を背景にしたロシア。

日本のやり方を模倣し、それに見た目の要素を加えて台頭した韓国。

圧倒的な市場で確実に力を伸ばす中国。

そして、中国・ロシアは豊富な資源と、国土の広さを背景にした補給ルートがあります。


翻って最近のアメリカはイラクの民主化に失敗し、テロ攻撃を受け、もはや強力な軍事力を行使する事にためらいを見せています。

資源の無い日本は、囲まれて補給がなくなれば戦争できない事を痛感しています。

さらにリベラルなオバマと、保守的な安倍氏はなかなか気が合いません。


自信を無くし、しょぼくれてスネ夫と言い合いしているジャイアンと、かたや「ドラえもん」をゲットしたのび太。


そこでスネ夫は考えるわけです。

平和主義なスネ夫は言います。

「今までうまく行ってたんだし、暴力はやっぱり良くないよ!このまま頑張ろうよ!」


現実主義なスネ夫は言います。

「いやいや、どう考えても多寡括られてるでしょ。このままじゃ俺だけやられるって。しかもジャイアン助けてくんないから!お前らが来るならジャイアンと一緒に戦う覚悟もあるんだぜ?くらい言っとかないとさ!」




どっちが良いんでしょうね?

未来が読めない以上、現時点で正解は無いのですが、量子論みたいで面白いですね。今度計算式にしてみようか…とかは脱線なのでここでやめます(笑)
↑後で気が付きましたが、ここに僕の物理学に対する知識の浅さが出てますね。。。(笑)


もとい、僕はこう考えます。


今は最後通牒のゲームでも先手有利のゲームでもないかなと。

つまり、ここは集団的自衛権のカードをちらつかせておいて、まだ切らないのが上策かと。幅を見せたところなので、かなり強力なカードに見えてるんじゃないでしょうか?


ただ、アメリカとの共闘の意思は示しておかないと現状、圧力になっていないので、共同声明や軍事関連の協定など別のカードを切ることは必要ではあると思います。
(そういう意味での、ホワイトリスト形式の集団的自衛権の限定行使は有りかもしれません)



そして…



そもそも、自衛隊とは軍隊じゃないのです。(※みんな忘れてない?)

そして権限とは責任です。

今、突然彼らに降って湧いたような軍事的責任を負わせる事って正直どうなのかなとも思います。

彼らも国民なのですから。



なので、今はより「自衛隊員の安全が保障がされる」ような事を考えて欲しいと思います。

例えば撃たれるまで撃ってはいけないって、紛争地帯で通用するの?とか思いますし。

せめて国境付近や国外での活動の時は臨機応変に対応できるようにしてあげないと、まず死んでくださいって言っているような気がして。。



橋下流「更生プログラム」のニュースを見て

元ネタは以下の記事

「問題児」は“特別教室送り”…橋下流「更生プログラム」で波紋


僕は祖母が教師をやっていましたが、自分は教育現場は全く疎く、子供もおりませんのでそういったところからの認識も不足していますが、ちょっと意見を言っておこうと思います。


昔は学校教育と言えば現場任せだったと思います。
僕の子供のころもそうでした。

罰についても教師の独断に任せていたと思います。

僕が受けた一番印象に残っている罰は、自習時間にうるさかったとかうるさくなかったとかで教師+クラスメートと言い合いになり、教師の指示でクラス中から無視されたことがあります(笑)。


今これやったら大変な騒ぎになりそうですね。


昔はそれでも良かったんでしょうね。教師にある程度信頼があったから。


今はないでしょうね。教師の悪いニュース多いですからねぇ。


そして体罰問題やらモンペアやら出てきて、挙句の果てには、この記事にあるように子供が教師に向かって挑発ですか…。


そりゃまともな指導なんてできませんよね。



僕はまず、ここで橋元氏が提案したようなシステムを導入して、「基準をもって子供を縛る方法」は滑り止め戦略として留め置き、切り札として検討のみで終わらすべきだと思っています。

理由はまだやれる事があると思うからです。



学校現場の個別事案を考えれば、同じような条件でも、現場判断で白にも黒にもなるようなことって多いと思いませんか?

クラスメートを殴った子がいたとして、どっちが悪いかなんて事情聞いてみないと解りませんよね?


ではどうしたら良いか?



まず第一に教師の信頼回復。第二に教師の権限回復。第三に教師の人間的成長。


とりあえず、悪いニュースに関しては過去からの統計をとって、今の教師が昔に比べて本当に質が落ちているのかを確認します。

そして問題があるようなら対策を打つ。

例えば、生徒に対する性的な事案が多くなっていれば、それに対する罰則を規定するとか。

課題の洗い出しと、対策が見える形で行われれば、必ず信頼は回復します。


次に生徒が教師に直接逆らえない制度を敷くべきです。

問題回避のために救済措置は必ず必要ですが、生徒が簡単に教師に文句を言えるのは学校秩序を乱します。


そして、教師の人間的成長ですが、僕はこれは職員室に問題があるように思います。

昔は社会経験のない若手に教育を任せるのはどうかと思った事もありますが、基礎を教えるという事については若い時から従事したスペシャリストがいても良いかなと思いましたので、中間案を考えました。

もっと外部の様々な業界から社会経験者を教師として入れてはどうでしょうか?

多様な価値観を職員室に入れることで、良い効果が生まれると思います。

ちょっと前に橋元氏が外部から校長を入れていましたが、これだと体制と反発しますからね。ひらの教師が良いと思います。



まぁ、ほんとはマスコミ側も、面白がって教師の悪いニュースを垂れ流すだけじゃなくて、統計とってホントの所どうなのよ?と言うところを報道する気概を期待したいんですけどねぇ

2014年6月24日火曜日

マスコミについて思う事

今日、フットボールチャンネルさんの「【W杯】日本代表の停滞を招いたサッカー媒体の堕落。1敗1分は“メディアの敗北”である」という記事を読んだ。

リンク切れ保障はないですが、一応リンク貼っておきます。


その中に以下のような記述があった。
サッカー界には「サッカーファミリー」という言葉がある。明確な定義は不明だが、同じサッカーを生業にする者、サッカーを好きな者同士、みな家族。そんな意味合いだろうか。それ自体は素晴らしい言葉だ。しかし、信じられないことに、メディアにも「ファミリー」の一員であると思っている人間は多くいる。

 メディアとは公平で、冷静でなくてはならない。取材対象者と“ファミリー”になっては、厳しい指摘ができようもない。もちろん選手に嫌われる可能性もある。だが、それを恐れるばかりにイエスマンになっては、日本サッカーの成長は望めない。

報道としての姿勢の話で、取材対象に嫌われるのを恐れずに、どんどん指摘していく文化がない事で、サッカー界自体の向上が遅れているのではないかと言う主張だった。


記者としては、取材対象に嫌われて情報を流されなくなったら死活問題だから、つい迎合してしまうんだろう。

しかし、それなら広報で十分。ジャーナリストは必要ないという指摘だ。



これを読んで、全く同じではないが、似たような問題を政治の世界も抱えているなと感じた。


大手新聞社はそれぞれ政治主張がある。

そして彼らは自分たちの都合の良いように、質問の仕方や表現を駆使して記事を仕上げている。


結果、事の真意とはかけ離れた印象を持たせる報道がされている。


先の記事にもあったが、報道の基本は「真実を正しく伝える事」なのであり、自分たちの主張を通すことではない。

まず、この「政治的傾向」をなくすよう努力すべきなのではないだろうか?


昔はすべての新聞をとって読んでいる人は少なかっただろうが、インターネットで各社の記事を読めるようになった現代では、今までのように読者をだまし続けることはできないだろう。


糾弾される前に姿勢を見直し、報道の本来の姿である「真実を伝える事」に注力してもらいたい。



ただ、これだって簡単な話ではないはずだ。


人間の関わった事件や事象であれば、そこにいた関係者の「思いや考え」だって報道対象になるのだから。

適切な関係者を探しだし、その真意を引き出す質問力が必要だろう。


さらに集めた情報をすべて書くわけにはいかない。

適切なサマリや抜出しをして、出来るだけ的確に真実が伝わるような表現力が必要になる。


どうだろう?

どちらも現在、自分たちの主張を通すための道具として使っている技術なのではないか?


今後は力の使い方の誤りをただし、さらなる研鑽がされていく事を望みたい。


これこそ、「マスゴミ」と揶揄されている現状を打破し、子供たちのため、よりよい社会を残していくために必要なジャーナリズムを作る方法なのではないだろうか?


民主主義において、愚民化は社会の崩壊を招く。

すべての国民が知識層になることが理想なのだから。

2014年6月22日日曜日

いわゆる慰安婦問題について

危険を承知で切りこんでみます(笑)。


この問題について、まずは僕の前提から話しておきます。


まず、今議論されている各種事柄について、あったのかなかったのかと聞かれたら、

「生まれる前の事なので知らん」(笑)。

とは言え、これじゃあ話にならないので、想像はしてます。後で立場と合わせて書きます。

正直、韓国側がどうとかと言うよりも、自分たちで解決しなかった当事者に一言物申したいですね。


孫子の代に謝らせて、それで良いんかい!って。


あんなに言われてるけど、ちゃんと出てきて向こうで何してきたか言いなさいよ。



まぁそれはさておき、僕の想像を書きます。


私娼・公娼はずーっと以前からありましたので、ここでは1938年以降、日本軍占領地域での犯罪の防止と治安維持のために、軍直営ではないが軍人専用に作られたという「特殊慰安所」を中心に、旧日本軍が何をしたかを考えます。


直営でないという事は、河野談話で言うところの、「軍が要請」して民間業者が経営・営業をしているという事。


まぁつまり、特殊慰安所に関して言えば、おそらく営業方法まで軍は口出ししていないと思いますので、業者の勝手という事だったんだと思います。


となると、強制性があったにしろなかったにしろ、やったのは業者。軍が「強制的に連れて来い」と指示するとも考えにくいので、自発的な行動。

ただ、軍が強引に特殊慰安所の増設を行っていたとして、その要求にこたえるために強引な手段がとられるようになった可能性はあると思います。

また、非道な方法に対して管理監督責任がなかったかと言うと、これも議論の余地があります。


非道な手段での連行があったかと言えば、多分それはあったんじゃないかと想像します。誰だって普通はお金があれば娼婦なんかしたくないと思いますから。

いわゆる本人の意思に反した連行だったケースは存在すると思います。


次に特殊慰安所以外のケースです。

例えば軍が主体となってかどわかしたケースです。

これは正直、戦争ですからね。あったんじゃないかなーって思います。ゼロだったとは想像しにくい。

当時は通州事件のようなむごい事件もありましたし、報道もかなり煽ってましたから、中国人に対する国民感情は少なからず悪かったと思います。

そんな中、戦友だって目の前で殺されたりしている状況で、感情的になった兵士がゼロってのはちょっと考えられない。


中国国内などの戦場ではあったのではないでしょうか?


とは言え、朝鮮半島を含む国内ではどうかと言うと、これは僕は疑問ですね。

当時の日本人が朝鮮人に対して恨みを持つような事は考えにくいですし(優越感はあったかもしれませんが)、そもそも国内でそんな事したらメディアも黙ってないでしょうし、治安維持の面からも政府が黙認するとは思えません。

もしあったら個別の事案として国内法か軍法で裁かれていると思います。


なので、朝鮮半島においては特殊慰安所に言及して良いのではないかと思うのです。



なので、朝鮮人とそれ以外の人では問題が違うのではないかと僕は思っています。


朝鮮人に対しては「軍の管理監督責任の有無」が焦点であるのに対し、

他の国については「裁かれていない軍の暴挙については真摯に向き合う必要がある」のかなと。


その上で中国ですが、日中共同声明で日本に対する戦争賠償の請求を放棄しています。この時点でお金を払うなどの保障は必要なくなっています。


次に韓国ですが、日韓基本条約で財産、請求権一切の完全かつ最終的な解決の確認がされています。

さらに精神面でも河野談話の時にフォローが入りました。

しかも事実上の追加保障であるアジア女性基金による援助を半ば拒否しています。

これは韓国政府がではなく、被害者側からです。

記録によれば、受け取りの意思を表明した被害者もいたようですが、背後で受け取らないよう、脅迫や教唆があったようです。


何だか利権がらみの国内問題が疑われます。。


結局7名が受け入れるだけに留まりました。


最終的にはこういった動きを抑えられなかった(抑えようともしなかった?)韓国政府からアジア女性基金の廃止を要求されます。向こうの言い分はやり方がまずいとの事のようですが。


結局赤十字社への事業転換なども模索しながらも、韓国での基金の活動は半ばで終了します。他の国では概ね良い反応だったため、続いたようです。

最終的に各国合わせて61名の被害者に償い金・医療費500万円と、時の首相からの手紙が渡されたそうです。


その内容も、結局いやいや受け取った韓国人被害者が声を上げて泣いて感謝するくらい、彼女たちの心の琴線に触れる程度のものではあったようです。


そして今。正直しつこいですね(笑)



まとめると、アジア女性基金を通して各国の被害者に金銭的・精神的保障はしています。

中国へは請求権の放棄からか出されていないようです。

韓国は述べたとおり。



僕が思いますに、中国へはお金は必要ないですが、当時日本軍が非道を行ったのであれば明らかにした方が良いと思います。

多分そういった精神的フォローがあればずいぶん感情的にも違うのかなと。

その為にも日本の当事者には出てきてもらって語ってもらいたい。そして必要なら謝ってほしい。それだけの事をしたのならば。


韓国は無視で良いと思います。

あれはただ、冷酷非情な日本人という自分たちに都合のいいレッテルを貼りたいだけだと思いますので。さすがにこれは受け入れられない。僕ら何もしてないし。あれ絶対(根拠なき予想)慰安婦利権だし。


本当の被害者はかわいそうかも知れませんが、恨むなら韓国自体の政府と教育と国民性に言ってほしいな、と言うところで長くなりましたが終わります。


2014年6月20日金曜日

塩村文夏議員へのセクハラヤジが話題になっておりますが

この問題、主に女性蔑視の観点から大騒ぎになっているようですが、僕は違う意味で注目しております。


いや、この発言は最低ですよ。それをどうこう言う訳じゃないです。


僕が言いたいのは、この国会でのヤジの文化なんとかならんもんかなと。


初めて国会中継見た時、あまりの下品さに空いた口がふさがりませんでした。



いや、議論の場でしょ?しかも日本で最高峰の議論の場。



何故に誰かが意見を言っている間に横やりを入れる??



しかも内容はくだらない。どうでも良い事だったり、今回のように関係ない話だったり。

しかも大体は中傷に近い内容。



なんかすげー恥ずかしいなぁと思ってたんです。外国の人が見たらどう思うんだろう?って。

議論の仕方知らないにも程があるよなって。



まぁこれに限らず、国会なんて議論になっちゃあいないですが、ちょっと醜すぎる習慣だと思いませんか?



この話題、どんどん大きくなって、ヤジの文化がなくなるようになれば良いなぁと密かに思っております。。。

2014年6月18日水曜日

児童ポルノ法が可決されましたね

一部?なのかな?では騒ぎになっています。


理由は簡単。

基準があいまいであること。

将来的に範囲を広げようという動きがあること。


まず、この法案の根底にある「子供たちを変態な大人から守りたい」という部分は、変態な大人以外の人からは理解されるところでしょう。


今回の法案で決まった事は「児童ポルノの単純所持でも犯罪にしよう」というところまで。


何を持って「児童ポルノ」とするかは、未だ曖昧なままです。


そしてそこに問題がある。


何某かの作品を作りたいと思う表現者の、「表現の自由」を損なう線引きになりゃせんかと。

過去作品が抵触したときに突然犯罪者にされやしないかと。


普通の刑法の場合は、新法は過去にさかのぼって適用されないのですが、この法案は「所持」に対して適用されるので、このままだとアウトなわけです。

昔、学校でみんなで見た映画「転校生」のDVDなんて持っている人いたら危ないですよ(笑)



まず、実写に限った話で意見を言います。

実写に関しては僕は大いにやるべきだと思います。

そこに被害者が映っている可能性があるのですから。

ただ、線引きは難しい。


他国のように「性器が映っている」と言ったはっきりした基準を作ってしまうと、それを悪用したものが作られかねませんから、僕はかえって逆効果だと思います。


あえて「性的興奮をあおる可能性のあるもの」と曖昧にしておいて、裁判で決定するとか。本人がどう思っていたかも重要だと思うし。

でも、これも裁判で根掘り葉掘り聞かれて精神的ダメージを負ったとか出てきそうだしな。


いずれにせよ、緩いところからスタートすべきかなって思います。



もう一つ、将来的に範囲に入れたいとされているマンガ等の図画ですね。


これは僕は反対です。


正直、個人的にはロリっぽい絵とかもろにそういった内容のストーリーは不愉快の領域にあるものなのですが、そういった個人的感情は別としてこれらへの規制はやりすぎだと思います。


恐らく、そういった社会的風潮を煽るからとかそういった趣旨なのでしょうが、であれば反社会的な表現を含むすべての作品を規制しなければならないのではないのですか?


暴力団やヤンキーを扱った漫画だってたくさんあります。同じ論調なら暴力推進してる事になりますよね?

未成年の喫煙や飲酒のシーンもアウトですか?それが過去の年代を扱ったものでも?

時代劇もアウトですよね?腰に刀挿してる時点で銃刀法違反です。

ってかもう、民主化以前の日本は放送禁止ですね(笑)。

海外のニュースもダメですよね。最近のイラクやアフリカのボコ・ハラムの報道なんて反社会的すぎて聞かせられません。

ってか、大体の作品の権力者はろくでもないやつですので、反社会的でアウト(笑)




母親たちの子供を守りたいという気持ちは理解できます。

ただ、やりすぎて多くの敵を作らないよう、理性的な防衛をお願いしたいもんです。

この国の3権分立は見直した方が良くないか?

表題のとおりです。

僕が日頃感じる、監視が必要なほど強い権力を有していながら、各々の裁量に任しているなと思う権力。


マスコミ



あと、議会と内閣が近すぎると思いませんか?力のある政党がどっちも牛耳ってんじゃんって。


さらに問題なのは、選挙制度もこいつらが自由にして良いという点。

別機関にした方がいいんじゃない?



全然分立してるように思えませんけどー?

民主主義って間違いないのかな?

これはまだ自分でもまとまっていないのでメモ。


日本に生まれ育った人って教科書で民主主義は素晴らしい!と教えられるのであまり疑問に思う人もいないのではないかと思います。


僕の理解を簡単に書きます。

専制政治はトップの器量にものすごい左右されるので、良い君主であれば素晴らしい世の中が約束される代わりに、自分の欲望に忠実な人がその座に就くととんでもなく不公平な社会が出来上がり、しかもそれが後世まで影響する危険をはらむ。

それに対して民主主義体制は議会を置き、議員を選挙で選出することで民意を政治に反映させようという趣旨。議席数のパワーゲームになるので歩みは鈍いが、たった一人のトンデモ詐欺師に世の中がめちゃくちゃにされる心配は少ない。


他の政治体制はここでは省略します。
この2つは相反するものですが、他のは意外と簡単に融合できちゃったりするんですよね。

ホントは民主的専制も可能ですが、ここでは民主主義の問題点・矛盾点を話したいので、特徴を言うためにあえて専制政治と民主主義体制についての見解のみ書きました。



という訳で民主主義について話を進めます。

民主主義は多数の人が持つ意見を「民意」と捉え、それを代弁する代表者を選挙で選出し、彼らが一定規模で集まることで民意がぶつかりあう議会が出来上がる事を狙っています。


しかし、現状はどうでしょう?


知名度の高い人や、選挙マーケティングに富んだ選挙屋を味方につけた人が票を集めてないでしょうか?

無党派層が多数という時点で、民意として争うべき意見が選挙の中で戦われていないのではないでしょうか?実際、僕はこの時点で比例代表当選者に意味を感じません。

選挙活動時の主張が議会でもされる保証はあるのでしょうか?議員も食べていかなければなりませんから、後からいくらでもお金のパワーゲームで行動を変えないとは限りません。

そもそも資本主義体制下の民主主義では、議員がお金に依存する「人間」である以上、お金持ちの意見が通りやすい構造ができやすくなり、一票の格差以上に貧富に差が生まれるのは当然ではないでしょうか?

若い人が投票に行っていない以上、全世代に公平な議会にはなっていませんよね?


探せばまだまだ色々ありますが、僕はこんな事を考えていて、民主主義、特に現在の日本の政治体制を手放しで受け入れる事に疑問を持ち始めたのです。



そして最近、まず教育の大きな問題に気が付きました。

民主主義は全員参加が基本ですから、全国民が政治に対して興味と知識を持っていることが大前提です。

しかし、皆感じているように、そんな若者は育っていません。なぜか。


今の日本の教育の現場では多種多様な考え方を否定する教育がなされています。

教科書で良し悪しを定義してしまい、それから逸脱した意見を「×」とし、点数を与えません。

教科書を否定する意見は10年前後に及ぶ教育課程で抹消され、子供たちにとって政治とは覚える科目になりさがってしまいます。

政治に興味を持つ若者が育たないのは当たり前だと思いませんか?多様な意見が育たないのは当然だと思いませんか?


多様な意見が育たない、表面化しない素地は他にもあります。



ここでちょっと脱線して、僕の考える「人がする選択」の論理を述べておきます。

人間は選択に迫られたとき、自分の利益を基準にして考えると思っています。

よく性善説・性悪説などありますが、僕はそんなものは誰かの都合で作られたものに無理やり話を合わせようとしているだけのようにしか思えません。

一般的に「善」と呼ばれる行動を取ると、他人との諍いが起きにくくなります。これは利益です。

一方、「悪」と呼ばれる行動を取ると、他人の利益を奪い取ります。これも明らかな利益ですよね?

さらに自分の味方と中立の者と敵もいます。彼らの利害も当然自分の利害として換算されます。

結局人はその合算で利益算出して判断をしているのだと、僕は思っています。


その前提で考えると、民主主義体制において利益をこうむるのは「多数派」であるため、民主主義体制下の人々は基本的に事の善悪以上に「多数派」であるようにふるまうのではないのでしょうか?



ここに僕は民主主義の矛盾を感じています。




多数の人が主張する意見が、間違いなかろう(納得感が大きかろう)ものであるとする民主主義。

しかし個人の利益がゆえに、全体の利益や正論が無視される可能性がある選挙。

それに拍車をかける、日本の社会的歯車製造工場のような教育現場。



なんか色々考えると、民主主義ってめんどくさいなーって。

既得権益や腐敗を生むのは、民衆全体の政治力がMAXでない限り必然であり、しかもそれを解決するのがとても難しい。

なんせ、天才に蹂躙されないための体制だからね。



いや、すぐやめろ、とは思わないんですけど、もう少し体制を変えていけるように。

そのためにどうしたら良いかを考えたいと思っていて、このブログを書いていこうと思います。



今まで書いた意見の一つ一つを細かくクローズアップしてみたり、時事ネタに突っ込んでみたり、くだらない話したり、テニスで思った事書いたり(笑)



そんなブログになると思います。

2014年6月17日火曜日

初心表明(笑)

思い返せば2006年の夏でした。

当時の僕はSystem Engineerとしてサラリーマンしておりました。

手に職をつけねば!と思いこれから伸びそうだったIT業界に入って6年。


仕事は順調、プライベートは落ち目。

転がり落ちるように仕事に没頭し、ミスなく成果を上げて、疑うことなく会社の中での成功を夢見て突き進んでおりました。


この時、社内有数の赤字プロジェクトに火消し役として放り込まれ、数年かけて完了の目途がつくところまで持ってきました。

チーム全員の残業と休日出勤がなくなった頃、初めて「出勤してやることがない」という状態になりました。


この時、僕は今まで全く興味を抱かなかった「ニュース」というやつを見て暇をつぶすようになったんです。

国内外のニュースを見ていて思いました。


「なんで中国って日本の事を嫌っているのだろう???」


ここから近代史に興味を持ち始め、アジアにとどまらずユダヤ人の歴史なども調べ始めました。



そんな事をやってたら色々考えるわけです。

今、自分が本当にすべきことってなんなのかなーって。



そんな動機ですが、考えたことをつらつらと書いていこうと思います。

政治や歴史についても個人的な意見を書くと思いますが、独学の素人目線なので皆さん鵜呑みにしないように(笑)


よろしくお願いします。